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クリッパー(バリカン)の歴史と移り変わり
クリッパー(clipper)は1871年、フランスのバリカン・エ・マール製作所の創始者あるバリカンによって発明された。
そこで、その名をとってバリカンとよばれていた。
1883年(明治16年)にフランス公使館員の長田�_太郎が帰朝に際し、これを持ち帰り、断髪師の鳥海定吉がはじめてこれを使用した。
1888年(明治21年)になると国産の両手ジャッキがつくられ、さらに1890年(明治23年)にはフランス式片手バリカン(クリッパー)が国産化されるようになった。
また1920年(大正9年)になるとアメリカからの輸入品をもとにして、国産のエレクトトリッククリッパー)が作られるようになり、現在ではハンドクリッパーよりも需要が高くなっている。
クリッパーは、シザーズをいくつも組み合わせたような道具で一度に大量の毛髪を刈ったり、梳き狩り刈りのように使われたりと用途もさまざまになっている。
今の時代では刈り残す長さも色々な種類があり長さは0.1mm〜10mm以上もあり、様々なスタイルに対応出来るようになっている。
尚、関西と関東では、言い方が違い、関西では『枚』関東では『分・厘』と用いられる事が多いようです。分や厘は尺貫法が基本であるが、必ずしも対応しない。
【関東】
1厘刈り:0.5mm
5厘刈り:2mm
1分刈り:3mm
3分刈り:6mm
5分刈り:9mm
【関西】
1枚刈り:2mm
1枚半刈り:3mm
2枚刈り:5mm
3枚刈り:7mm