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サインポール
サインポール(signpole)は理容店を示す細長い円柱形の看板。赤・白・青の三色の縞模様(レジメンタル・ストライプ)がクルクルと回転する。 ひねりを加えた形が、安土桃山時代にポルトガルから伝来した砂糖菓子有平糖とよく似ていたことから有平棒(あるへいぼう)(またはアルヘイ棒)ともいう。英語圏ではバーバーズポール(Barber's pole)と呼ばれる。
今も昔も女性は美容室で髪を切るが、昔は男性が髪を切るのは、ポールの先にある白い球と赤・青・白のネオンが回転している看板でおなじみの理髪店と相場が決まっていました。
しかし、最近は男性もオシャレ(!?)志向が高くなったきたためか、美容室を利用するようになってきました。そんな状況を反映してか、伝統的な赤・青・白の3色看板があると、古くさい店だと思われてしまうからか、3色ポールを掲げない店も増えてきたようです。
でも、何故、赤と青と白色の模様が回転する奇妙な看板を理髪店は掲げているのでしょうか?
12世紀のヨーロッパで、当時の理容師が外科医を兼ねていた(「床屋外科」と称した)ため、赤は動脈、青は静脈、そして白は包帯を表しているという 説。(テルモ編「先駆者の勇気に応えたい—医学の歴史エピソード集」より)しかし、血管に動脈と静脈の2種類があることが発見されたのは17世紀のこと で、12世紀に血管を赤と青で分けて表示したということは、歴史上考えられないという指摘がこの説にはある。
中世の頃、理髪師は修道院などにいて、髪やひげを切るだけでなく、瀉血(しゃけつ)や民衆の求めに応じて、火傷や骨折などの治療、抜歯などの外科的治療も行うようになっていました。そのため、当時は理髪外科医と呼ばれていたようです。 瀉血とは、患者の静脈から血を少しだけ抜き出す治療のことです。今でこそ、こんな治療法はほとんど行われていないが、昔はこの瀉血が健康維持や病気の治療のためには、『悪い血を抜かなくてはならない』と信じられており、盛んに行われていました。
やがて、外科治療は職業として分離したが、この頃の名残でポールは、赤=動脈・青=静脈・白=包帯を表すポールになりました。
これは今まで良く知られていた理髪店のポールの由来だが、実はこの3色は血管や包帯を表しているわけではないのです。
瀉血を行っている間、患者は痛みを堪える為に棒を握っていた。腕から出た血は受け皿に落ちるようになっていたが、腕から棒へ血が垂れることも多く、この棒は最初から真っ赤染められていた。後に、この棒はバーバーズ・ポールと呼ばれるようになりました。 それまでは、理髪店の目印として、店頭に血を集める皿が吊されていたが、1606年には血のついた皿を吊すのは「気持ちが悪い」ということで禁止されてしまいました。
さて、瀉血治療が終われば、患者の出血を止めるため包帯で巻いていたのですが、当時の包帯は非常に貴重なもので、何度も洗って干し、再利用していました。その干すのに使われていたのだが、バーバーポールでした。
バーバーポールを軒先にさして、包帯を吊して干す。赤いポールに垂れ下がる包帯は、風に吹かれてポールに巻きつくこともあったとか...。そう、この巻きついた包帯こそが、紅白の螺旋模様のポールが理髪店の看板となっていたのだ。
では、残る「青」はどこから来たのだろうか?
これは理髪師と外科医の組合が分離したのがきっかけです。1745年のイギリスで、その時に理髪師は赤・青・白の看板、外科は紅白の看板を掲げるように決められたのでした。
こうして、理髪店の看板は3色になったが、中にはそれに反発し、紅白の看板を掲げていた理髪店もあったようです。
日本でも明治の頃は3色ポールではなく紅白ポールで、ポールの先の白球も金色だったようです。
これで、3色の謎は解けたが、もう一つ気になることがある。それは、ポールの先にある「白い球」だ。これにだって、何らかの意味があるはずだ。
瀉血が盛んだった頃は、バーバーポールの上に血の受け皿を引っ掛けるのが習慣だった。これが時代と共に、象徴として簡単な白い球へと変わっていったのでした。
1815年のワーテルローの戦いで、フランス国旗を巻き付けた棒が野戦病院に立てられたのが起源とする説。
サインポールの由来には諸説あり、かつ明文化された記録が存在しない為、由来の調査は困難なのが現状である。よって内容が異なる説があったとしても一概に違うとは言いきれない場合も存在します。